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「有利な症状固定時期」を考える

症状固定のメリット・デメリット

労災保険における後遺障害の認定は、負傷や疾病が「治った場合において、その身体に障害が存するとき」になされるとされており、ここにいう「治った場合」とは、
「傷病に対して行われる一般に承認された治療方法(以下、「療養」という。)をもってしても、その効果が期待し得ない状態(療養の終了)で、かつ、残存する症状が、自然的経過によって到達すると認められる最終の状態(症状の固定)に達したときをいう」
とされています。

分かりやすく言うと、主治医の先生が「これ以上治療をやってもしようがないけど、この症状はずっと残るでしょう」と言うような状態ですね。
一般にこの状態を「症状固定」と言っています

もっとも、具体的な治療の場面において、「今日、治療の効果がなくなった。」「今日、症状が固定した。」などとはっきり感じられるようなことはまずないでしょう。
たとえば、頸椎捻挫で電気治療やマッサージの治療をしている場合、治療を何か月も継続すれば、徐々に「治療を続けても効果の薄い状態」に近づいていくのでしょうが、そうかといって、ある日突然「今日から電気治療やマッサージの効果がなくなった!」などという状況になる訳ではなく、明確な区切りは存在しません。
従って、結局のところ、主治医の先生と被害者本人がよく話し合って、適宜「このあたりが症状固定ではないだろうか」という日を決めていくしかないのが実情です。

これは、あくまで私(本田)の個人的な見解ですが、上記のような意味で「症状固定」の日付は相対的、流動的なものと言わざるを得ない、と考えています。
自然科学によって、絶対的、確定的な日付が決まっているわけではありません。
他方で、一度、後遺障害診断書に「症状固定」の日付が記載されてしまうと、それは、様々な場面で、非常に重い意味を持ってしまうのです。

症状固定にすることによるデメリット

いったん、「症状固定」ということにして、主治医の先生から「後遺障害診断書」を書いてもらった場合、それ以後に治療をしたとしても、治療費を加害者に対して請求することは(原則として)できません。
なぜなら、「症状固定」以降の治療は、「効果が期待し得ない」とされ、必要性が無いと判断されるからです。

現実には、「症状固定」の後も、リハビリや痛み止めの治療を行う方は大勢いらっしゃいますが、それらは、健康保険を使って自己負担で行うしかありません。

また、「症状固定」になった後は、勤務先を休業しても「休業損害」を請求することはできません。
「症状固定」になった時点以降の労働の支障については、「後遺障害」による「逸失利益」の問題として処理されるからです。

このように、「症状固定」時点以降は、「治療期間は終了した」とみなされ、それに伴って諸々の補償を請求できなくなります。
他方で、「症状固定」にしても、後遺障害が認定されないこともあるわけですから、症状固定のタイミングを決めるには、慎重である必要があります

症状固定にすることによるメリット(?)

他方、「症状固定」にするメリットは、それ自体としては存在しません。
ただ、「症状固定」時点で残存する症状について、後遺障害が認定されるとすれば、それはある意味でメリットと言えるかもしれません。

私見としては、上記1でも述べましたように、「症状固定」というのは、相対的なものであり、絶対的客観的に決まっているものではなく、基本的には医師が患者と協議して決定するものと考えています。
ただ、医師の決定した「症状固定日」があまりにも遅すぎる場合、裁判所において、その「症状固定日」が採用されず、「より早い時期に症状固定していた」と認定される場合があります。

例えば、頸椎捻挫の事案で、医師が事故から2年間に渡り治療を継続したうえで、2年後の日を「症状固定日」と決定したとします。
この場合、事案の内容次第では、裁判官から「治療期間が長すぎる」「実際には事故から1年後の時点で症状固定していた」と認定されてしまう場合があるのです。
そうなると、1年後以降の治療費は加害者側に請求できず、被害者側の手出しとなってしまうこともあります。
このような場合には、「より早い時期に症状固定とすべきだった」と言えるかも知れません。

専門家によるアドバイスの必要性

以上のとおり、「いつを症状固定の日として後遺障害の認定を求めるべきか」については、必ずしも明確な答えが無く、なかなか難しい問題ですが、その日付の設定が後遺障害等級認定に与える影響は小さくありません。
他方で、症状固定日を診断すべき主治医の先生は、後遺障害の認定実務に詳しいわけではありません。
従って、症状固定時期を主治医の先生と協議するにあたっては、後遺障害等級認定実務に詳しい弁護士その他の専門家にご相談されることが適当ではないかと考えます。